万華鏡美学ノー


 万華鏡美学に関する考察メモ


コンセプト

作品に、お手を、触れてください。

作品の写真撮影は、ご自由に…。


外なる世界としての造形、内なる世界としての映像。


ウキウキ ワクワク  ドキドキ


作品を体験する。


シンメトリー考

最小の認識パターンは、対称である。

美しさの基、シンメトリー


形は、対称形をなして、始めて認識される。

非対称であるものは、カタチとして認識されない。


美の感覚は、狭小なものである。


母の顔というシンメトリーの認識パターン。


視ると言うことは、つまり対象形を探すこと。

見えるということは、パターンに気付くこと。



ツーミラー考

光を形づくるものは、闇の影である。

光だけを見ているのではない。光と闇を見ているのだ。


闇に縁取られて、光がカタチとなって現われる。


エッシャーの「天使と悪魔」のように、悪魔の黒い影によって、天使が輝き始める。

天使の白い影によって、黒い悪魔が、姿を現す。


悪魔なしでは、神の存在がありえなかったように、

闇の陰が無ければ、光の輝きはあり得ない。


明るい光にだまされるな。

宇宙はダークサイドに支配されているのだ!

ダークマターが宇宙を一つにまとめ、

ダークエネルギーが、その運命を握っている。

    グレッグ・ターリー(ミシガン大学教授)

光考

われわれのこの世界では、何もかもが物質と光とのたわむれなのだ。

         「138億年宇宙の旅」 クリストフ・ガルファール


われわれの宇宙には、目に見えるものより、ずっと多くの目に見えないものが存在している。

         「138億年宇宙の旅」 クリストフ・ガルファール


光は、光だけでは、光の闇に過ぎない。

闇の衣を纏って、はじめて光がその姿を現す。


影が、カタチの表情を作る


光と闇の二元論は、間違いだ。

光と闇は、明度の階調に過ぎない。


光と闇は、空即是色、色即是空。


死神は、つぶやくかも知れない。

「光は、闇の影である…」と


始めに闇ありき。闇より光現れ、光が色を帯び、やがてカタチを成す。


見えるものがあり、見えないものがある。


見えるものは、見たいもの。

見えるものは、かって見たもの。

見えるものは、かってイメージしたもの。

見えるものは、見る者の世界観の中にあるもの。

見えるものは、見る者の認識パターンに合致したもの。


見ていて、見えないものがある。

見ていて、見えないものは、見る者が、闇と呼ぶもの。

見ていて、見えないものは、見る者の世界観の外にあるもの。

見ていて、見えないものは、見る者の認識パターンにないもの。

見ていて、見えないものは、見る者が、そこに何も無いと信じ込んでいるもの。


真実、そこにオブジェクトが存在するか、否かは、問題ではない。


脳が、視る。


騙される眼は、美しいモノを視る。

騙される耳は、美しい音楽を聴く。

騙される味覚が、美味しさを味わい、騙される嗅覚が、かぐわしさを知る。

騙される脳が、美しい夢を見る。


見る者は、見たいものを選択して見出す。


観の目、見の目、視の目。


人間は、眼球を二つ持つことの宿命を負っている。


見る者の世界観は、水平線軸を基とする。

見る者の宇宙観は、地球の引力に呪縛されている。


遠近法は、だまし絵である。


だまし絵でない絵が、あるだろうか?



リアル考

リアルは、脳の中に在る。


リアルのイメージは、前頭葉に在るが、

彼らがマンダラと呼ぶものは、おそらく間脳に近いところに在る。


生命が原初から持っているイメージが、おそらくマンダラパターンなのだ。

それは、宇宙的普遍性を有している。

そして、それは直接的に、生命そのものととコンタクトする。


マンダラパターンを、花や星に見立てるのは、前頭葉の仕業。

マンダラパターンは、先天的なイメージであり、

見立ては、経験・学習による後天的イメージ。たとえ普遍的宇宙のイメージであっても…。


前頭葉の頭が、間脳の尻尾を加えているウロロボス。


輪郭考


点 線 面


人は老化する。

老化した視覚は、判別にコントラストを必要とする。

老人にとって、スフマートは判別し難い。


輪郭線は、黒い線とは限らない。


輪郭が、平面に意味を与える。


輪郭は、線である。

線にも、トーンがあり、色がある。

輪郭線を、しっかりと見つめ直せ。


時として、人は、輪郭線しか見ていないのではないか…と思う。


輪郭は、界面か? 界面と別の界面の境界?

一つの世界と別の世界の境界?


輪郭は一つの世界を形作ると同時に、隣接する別の世界の輪郭線でもある。

天使と悪魔のように…。


線描か、スフマートか?

輪郭が、イメージを独立させる。


浮世絵とステンドグラスの共通点。

輪郭がもたらすコントラスト。


直角三角形考

二種の直角三角形が、全てだと言って、過言ではない。


人間は、集約点に、世界の中心を求めようとする。

都市にのみ、文明を見出そうとするのに、似ている。


ピタゴラスの直角三角形の裏表に、

ハーモニーのメジャーとマイナーの関係性を見出すならば、

万華鏡のイメージに於いても、同様な違いが、現れるだろうか?


江戸末期に「更紗眼鏡」と呼ばれた万華鏡、それはツーミラーではありえない。

展開される連続模様。

おそらく、正三角形のスリーミラー。それは、まさしく更紗模様。


黄金比考

五角形の内角は、煩悩の数。


5ポイントか、6ポイントか?

六角形か、五角形か?

地球の引力は、五角形を選択するのか?


5ポイントが動的で、4ポイントは静的であるという印象。


白銀比考

4ポイントにおける静謐な美しさの原理

すなわち大和比。


大和比と呼ぶべきではない。エスノセントリズム。


神代の時代から黄金比も白銀比も存在する。


キリストの架けられた十字架の十字の比は、は、黄金比か?白銀比か


幾何学的図形としての具象。

幾何学的図形に、イメージを見出すならば、それは、抽象と言える。

幾何学的図形による抽象への道。

幾何学的図形による具象への道。

他に方向は … ? 象徴…?


芸術考


芸術は、お化け屋敷とストリップ小屋!


お寺は、極楽と地獄のテーマパーク

教会は、天国と地獄のテーマパーク

人々の求めるものは、お好みの怪談。


しかし、良質の怪談でなければならない。


描き方の問題。

おどろおどろしく描くのも、リアルに描くのも、ファンタジックに描くのも、全てアリ!

好みの問題。


寺院や神社や教会と言う名の、「ディズニーランド」


聖と俗  魂と肉体


立派なミュージアムより、隠し扉の裏のヴンターカンマー!


箱を開ける 扉を開く 穴を覗きこむ 

それらの行為は、すでに作品の術中。


参加型アート 能動的観賞


Looking or Peeping ?


ガラスケースの中に閉じ込めて、鍵をかける…。

万華鏡を、そんな悲しい目に、合わせないでください。


多くの人に覗いてもらって、壊れてしまう万華鏡と、

壊されることを恐れて、ガラスケースの中に閉じ込められる万華鏡と、

万華鏡にとって、どちらが幸せだろうか?


立体考

プラトン立体を考える時、

古代の科学者たちの凄さに、畏敬の念をおぼえる。

それよりも、もっと驚嘆すべきことは、

それら古代の科学者たちが、忘れ去られたもっと古代の無名の科学者たちから、

様々なの問いかけを受け継ぎ、答えを探し続けていた事だ。


私は、気づいていなかった。

スフィンクスの謎もその答えも、

彼の背後に、何千年も前から、明らかに、聳え立っていたのだ。


立体は、空間によって、形づくられる。


謎とか不思議とかいう言葉を、安易に使うな!


屏風絵と扇絵と言う日本独自の半立体的絵画。

日本独自か?要検証…。


扇絵は、見る者に焦点を結ぶ逆遠近法…。


宗達の絵に、光悦の筆になる和歌。

それが襖絵になる時、平面が立体になり、ストーリーを語る四次元作品となる。


日本人に特有な空間感、それは屏風絵と扇絵の様式に培われたもの。


日本間には襖があり、枕元には衝立が立てられる。


伊勢物語を知らずして、燕子花図屏風を美術品として語る…

そんな愚を、己自身も犯していないか、恐ろしい。


カタチ考

 △ □ 


瞑想装置としての曼荼羅。曼荼羅としての○△□。


瞑想イメージとしての○△□。


イメージは、○△□で出来ている。


○△□の普遍性と蓋然性。それを思うとき、改めて五角形の特異性に気付く。


人間にとって、カタチが、普遍的に意味を有するのであれば、

もしくは、人間の意識が、カタチに囚われるのであれば、

その精神的作用を、あながち否定出来るものではない。


言葉に言霊が宿るように、カタチにもカタチの霊が宿る。


形が持つ呪術性を、軽視すべきではない。

ましてやその表象性がベースとなる芸術文化に於いてや…。


万華鏡の魅力は、その映像が作る形の呪術性にあると言っても、過言ではない。


呪術の胡散臭さに騙されぬ科学性と、呪術のイメージに遊ぶ文学性。


護摩壇における鎮護・愛敬・調伏の形


能における鬼の象徴としての鱗紋


見えない悲しみがある。見える悲しみもある。


アムレット護符としてのレンズ、アムレットとしてのカメラ


黄金比がもたらす躍動感と、白銀比がもたらす静謐感。


言葉が発明される前は、概念は全て五感に依った。

言葉で伝えられぬモノが、図像や音楽で伝わるのだろうか?


文字の発明が5千年前。

ホモサピエンスの言葉の発明が、5万年前。

人類の歴史は、言葉の発明以前の方が、はるかに永い。

まして、太古の海から上陸し、ほ乳類に進化する生命の時間は…。

モノやカタチや音や臭いは、言葉より、はるかに本質に近い。


織物の模様は、言葉や文字よりもはるかに古く、原初的な意味を持っているはずだ。


言葉にさえ、言霊がある。ましてカタチには…。


カタチが力を有するなら、それは呪符ということになる。


カタチそのものが、神なのかも知れない。


万華鏡は、咒具である。


数式における=という対称軸


二元論も、シンメトリーの構造?


装飾考

素材の力、カタチの力、色の力、装飾の力。


対称、反復、変容、模倣、充填、装飾の力。


「その気にさせる…」

作品の力とは、そういうものだ。


作品に、作った人の人格が現れる。


作品を見たら、作った人の中味が分かる。


装飾は、呪符である。


エッジはカタチの装飾である。


覗き見えた下着ほど、魅力的なアクセサリーはない。


Looking と Peeping は、違う。


目配り、手配り、こころ配り。


技術考

大技 小技 力技 時間技 道具技 機械技 材料技 …

いずれにしても、金がかかる…。


時間技 ≦ 能率技


職人の技= 道具技 ≦ 機械技 ≦ 工業技


「職人の技」なんて呼ばれたら、それは職人への侮辱だよな。


「遅い仕事なら、誰でも出来る!」と、よく叱られたものだ。


浜辺で見つけた美しい石を、愛しい女におくるため、

そこに首飾りの穴を穿った原始の時代の男を思え!

何の道具も無しに、堅い硬いその石に、穴を穿った男の拙い技と、

想いの深さを思え!


エロス考

純化されたエロスとしての曼荼羅映像


対称の歪みが、エロスである。

非対称の花が、エロスである。


くびれのエロティシズムは、対称である。


ハードボイルド…、ぞめく…、仇な…、懸想…、パラゴニア…、危うい…


数寄中納言と蟲愛ずる姫君…


花にパンツを穿かせよう!


公序良俗に反しないと言うことは、毒にも薬にもならぬと言うこと。

何の値打ちもない!


小さな大人であるところの子供の感性や能力…。


雑考


失敗は、新しい世界に続く扉のドアノブである。

しかし、それを、しっかりと掴んで廻さなければ、扉は開かない。


本当の失敗は、本気でやりつくした者にしか出来ないこと。

ほとんどの人間は、失敗さえできないのだ。


ビーズの美しさを理解している人は少ない。

それを使いこなせる人は、もっと少ない。


おまじないと言う名のオブジェ


小さなガラスの粒を、粗末にしてはならない。

その美しさを活かす技術が、何千年も前から遍在する。


鈴木春信は、江戸のバルビエである。

バルビエは、パリの春信である。


江戸のエレガンス。


鈴木其一の朝顔の、いろは、つねならん…? 以呂杷


バルビエは、春信の生まれ変わり


織部は、バロックである。


宇宙の中心軸がブレ始めたとき、バロックが生まれた。

ケプラーの楕円軌道が、宇宙真珠をゆがめた。


エッシャーは、万華鏡に近づいてくる。万華鏡は、エッシャーに近づいて行く。


エッシャーのメタモルフォーゼは、変奏曲の楽譜。

エッシャーの主題によるフーガ。


科学博物館の本質は、Steampunk。

科学館の案内嬢は、すべからく、

ネオ・ヴィクトリアンのコルセットの制服と、ゴーグル及び光線銃を着帯すべき…?


ハッブル望遠鏡という万華鏡が表現する宇宙は、なんと官能的でエロチックなのだろう!

万華鏡の宇宙など、比べものにならない。


ハッブル宇宙望遠鏡を逆向きに覗くと、

5ポイントの万華鏡イメージになりそうな気がする。

或いは、Fractal。


宇宙を膨張させるダークエネルギーというのは、

ソウル(魂)というものなのではないだろうか…?


物語の中に物語、その中にまた物語、千夜一夜物語。

カタチの中にカタチ、またその中にカタチを映す万華鏡という黄金比の千夜一夜物語。


歳を食っているからといって、必ずしも熟達した作品を求められるとは思わないが、

若いからといって、稚拙な作品が許されるわけではないと思う。


一寸した違いが、大きな差であることに気付かぬ者は、

何時まで経っても、その差を乗り越える事は出来ない。



弧帯紋考

編 縄文 弧帯紋 ケルト メデューサ ゴーゴン 注連縄 アラベスク メビウス DNA 蛇…

生命現象の表現の典型


安易に、感覚や才能等という言葉に帰するな!


彼らの精進・努力の程を知ったら、恐ろしくて、

とても感動や、共感など出来たものではない。


ゴッホの正体は、天才や狂気などではなく、恐るべき研究とたゆまぬ努力の人。


どこにでも、スゲー奴が、星の数ほど、イッパイいる。


ダ・ヴィンチみたいな人は、何時の時代にもいたし、今もいっぱいいる。

ダ・ヴィンチみたいな生き方と言うべきだ。


江戸の長屋の八つぁん熊さんたちの教養の深さ。

知らないことは、物知りの大家さんに聞きに行く謙虚さと向学心。


先生がたは、お忙しくて、お勉強の時間が無いようだ。


自立するアート


オーソリティーから、 アカデミズムから、メセナから、パトロンから、

ブランドから、オカミから、美術館から、ギャラリーから、

鑑賞者からさえも…。


お上のお世話になるな!


自立出来ないのなら、その程度のモノだということ…。


どうも、専門家ほど、分かってないようだ。


自分の作品を作りたかったら、飼われるな!


絶対に、自分の金とかいしょで、作品を発表しなければ…。


アール・ブリュットは、自立したアート。


アール・ブリュットの孤の立脚に、はげしく憧れる。


売れる作品が、ギャラリーにとっては好い作品。


形に閉じ込めたら、今度はその形が増殖・成長を始める。


アートでなければ、意味がない。


おもちゃ ≦ アート


美学が無ければ、お話にならない。


下品と言われようが、高尚と言われようが、それはその人、好みの問題。

美学が、問題。


下品、、野卑、淫媚、猥雑、残酷…、美学の宝匣


売るために作られた作品、賞が欲しくて作られた作品、

自慢するために作られた作品、

愛しい人に贈るために作った作品、

ただ作りたいから作った作品、

作品が、ひとりでに出来あがったしまった作品、

見れば分かる。


賞を授けるなどという無礼な振る舞いを、絶対にするな!



材料を惜しむ、時間を惜しむ、努力を惜しむ、勉強を惜しむ…

それで、マシな作品が出来るわけがない。


装置考

古い木切れや焼けた骨片を、宝石をちりばめた金や銀の匣に入れて、

その容器のために、高い塔や大きくて立派な堂を建立し、ありがたく祀る。


古い木切れや焼けた骨片が、この世ならぬ不思議な光を放って、

美しく輝きだすと云うのが、必然のイメージ。


四の五の言わずに、とにかく作品!


錠に閉ざされた宝箱には、美学に基ずく宝の中身と、

その隠し場所が記された、秘密の暗号の地図がある。


開かない箱の中には、ストーリーと、想像し尽くせないイメージが詰まっている。


失われたアークは、失われることによって、輝き始める。。


アートをジャンル分けするほど、ナンセンスなことはない!


万華鏡は、人工洞窟グロッタである。


額縁が、絵画の値打ちを決める。

舞台が、役者の値打ちを決める。

今やその舞台は、TVでもマスコミでも、ギャラリーでもない。


レオナルドは、「画家は、万能でなければならぬ」と言った。

画家に、限らんだろう…。


鑑賞者が、作品を評価するのではない。

作品が、鑑賞者を評価する。


作品に、つまらない!と言う感覚のヤスリを、容赦なくかけよう。


作品は、誰にでも語りかけるわけではない。

作品は、自ら語りかける相手を選ぶ。

語るに足る相手を選ぶ。


本歌を知らなければ、本歌取は分からない。

見立るモノを知らなければ、見立は分からない。


いくら優れていようが、教養のない感性は、カスだ!


想像力は、教養である。


j當麻曼荼羅が、日本における極楽浄土のイメージの基。


やり方が分かることと、それが実際に出来ることとは、まったく別物。


金と時間があったら、少しはマシな作品が出来ると云うの?


言い訳するな!


作品は、月が満ちて生まれてくる。


作品は、自らの意思で、生まれてくる。


アートは、何時だって、現代だろ!


若手とか現代とか新進とかいう、甘えとウサン臭さ!


何だって、いつだって、誰だって、ゼロからの挑戦だ!

まして伝統芸能や工芸においてや…。

その筋に生まれて、伝統の技法や芸を受け継いでいるのは、当然アタリマエのこと。

そのうえで、何だって、いつだって、誰だって、ゼロからの挑戦だろ!


今泉今右衛門氏曰く 「伝統は受け継げない。各代が、時代に懸命に取り組み、

自分で経験し、見つけ、気がつき、積み上げて行くものだ。」


教養がない! 背筋がさむくなるほど、教養がない!


自らを、学養する姿勢がない! 謙虚さが無い!


「やってみなくちゃ分からない」と云う事を分かること。


「やってみなくちゃ分からない」という事が分かっている者は、

一遍言えば、なんでも分かる。


分かる者には、黙っていても分かる。

分からない者には、何べん説明しても分からない。


金を惜しむ、手間を惜しむ、時間を惜しむ、勉強はしない。

そんなけち臭い奴に、好い作品が作れるわけがない。


やり方が分かっても、やらなきゃ出来るわけがない。

やってみても、出来ると決まった訳でもない。

それは、本当にやった奴だけが知っていること。


ちょいとした思いつきは、誰にでも出来ることだし、誰でもがやっていることだ。


やれば、出来ると云うのは、大ウソ。

やってみても、必ずしも出来るわけではない。

それは、やっぱり、やった奴だけが知っていること。


アイデアに基づき構想すること、設計すること、具現化すること。

それは、それぞれまったく別物。

それは、まったく、それぞれが、気の遠くなるほど大変な作業。


失敗、やり直し、修復に次ぐ修復。その際限ない繰り返しが、完成への道程。


アイデアを思いつくことは、誰にでも出来るし、やっていることだ。


金と権力にモノ言わせる相手には、作品にモノ言わせるしかない。


夜郎自大、恥ずかしくて、我慢ならない。

人の振り見て我が振り直せ。


万華鏡作家などと呼ばれたくない。

レッテルを貼られたら、オシマイだ。


胡散臭い奴、胡散臭い権威が、大嫌いだ!


好い作品を作る…、その他に、いったい何が、お望みなのです?


独りして、群せず…。


千手観音の腕の一本一本は、千あるタグの一枚一枚。


そそられる材料に出会うこと。

そそられるモノに出会うこと。

そそられる人に出会うこと。

万華鏡は出来ごころである。


「そそられる」「出来ごころ」「けさふ」


日本における完成されたシンメトリーは、アシンメトリー。


アシンメトリーの正体は、何だ? 少し胡散臭いぞ。要検証。


世界の中心軸の複数化が、バロックのカタチ。


日本のアシンメトリーは、バロックの直輸入。


シンメトリーあってのアシンメトリー。


全ては対称。対称が3次元・4次元に展開されて、宇宙が出来あがる。

パラレル・ワールドではなく、シンメトリー・ワールド?その対称軸は?


地球上では、太陽が対称軸(点?)か? 引力が対称軸(点?)か?


僕にとって万華鏡は、作品における様々な要素の中のひとつに過ぎない。


万華鏡に尽きる万華鏡は、いくら気取ってみても、結局万華鏡でしかない。

三日で飽きる。


商品に必要なモノ。高名なお名前。ブランド。利益率。


金で買えるものは、金で買える値打ちのものでしかない。


インターネットで買えるモノは、インターネットで買えるモノでしかない。


ガラスケースの中の立派な作品を、ありがたく覗かせていただくと、

ガラスケースの中に入れて、鍵をかけておいた方が好いような作品だった。


色街の大店の遊郭に並ぶ厚化粧。

格子越しに覗きみる冷やかし客。

繁盛、めでたし、めでたし…


手作りと言うだけで、作品か?


私は、村に住んでいない。


親の時代は、工芸ではなく、手仕事・針仕事と言った。


工業製品を超えるところが無ければ、手作りの意味が無い。


輸入品の安価な万華鏡と、どこが違う?


土産物店で売っている Made in Chine の安価な万華鏡が、とっても好い。


目標は、土産物店で売っている Made in Chine の安価な万華鏡を超えること!


一工夫なら、誰でも出来る。 最低、三工夫は必要だ。



お金を掛けたからと言って、良いものが出来るとは限らないけれど、

ケチ臭い事を言ってたら、良いものが出来ないことは、確かだ。


金が無くても、勉強や手間や時間を惜しむな!


お小遣いを何ヶ月も貯めて、

やっと買ったカドミウム・レッドをチビチビ使っていた頃のアートの値打ちと、

100円ショップで、何色ものアクリル絵具が手に入る今と、

アートの値段も質も値打ちも、当然違ってくるだろう。

ギャラリーの賃貸料も、しかり…。


「誰にでも出来る万華鏡」は、誰にでも出来る万華鏡であって、

「誰にでも出来ない万華鏡」というのもある。


旦那、子供をバカにしちゃァ、いけやせんぜ。


子供にバカににされる、子供のための万華鏡。

子供の万華鏡を与えられる、子供の不幸。


毒にも薬にもならない万華鏡の、なんとつまらないこと…。


毒を、たっぷりと含んだ万華鏡を作ってやりたい。


万華鏡が楽しめるは、オトナ子供とコドモ大人。


ちょっとした違いというのは、ケタ違いの差のこと。

大きな違いは、その自乗倍の差のこと。


文学としての洗練された詩や文章、美術としての美しい絵画、工芸としての精緻な装丁、

そんな優れた絵本のような万華鏡を作りたい。


外なる世界と内なる世界を統合するものは、エラそうに聞こえるかも知れないけれど、

やはり教養と言える。



「鏡の間」考


ヴンダーカマーの次に、王様は、「鏡の部屋」を思いついた。

外国の賓客に、鏡の回廊を歩かせ、「鏡の間」で謁見して、悦に入った。

王妃は、「鏡の浴室」を作らせ、己の裸身を映して、悦に入った。


虚構の空間は、虚構なるものにこそふさわしい。


装飾の技法としてのミラー。

装飾技法としてのミラーの技法は、研究し尽くされているか?


ゴールド考

金には、確かに金の持つ力がある。


金の力とは、一体、何なんだ?


金は金色か?

白と黒は、色ではないという事実。

金と鏡の本性は、似ているかも知れない。

金は、鏡越しの黄色?


下地は黒地。下地は赤地。


金に鉛、光琳の技!


狛犬の源が、スフィンクスであるように、

キラキラし仏の像の源は、ツタンカーメンなのか。


クフ王の像は、仏像の原型か?


極楽浄土の蓮華も、三途の川の渡し船も、結局エジプト起源なのか?。


世界で普遍的な金崇拝の源は、エジプト文明が持つ蓋然性か?


人類学のスタンスが必要。


ノームという定規。


笏は定規、扇は分度器。


利休扇という分度器?


ローマ帝国タイプの甲冑が、古墳から出てくると言う事実。


イシスの母子像が聖母子になり、馬祖になり観音像になり…?。


太陽の船に乗って、三途の河を渡る。額にピラミッドマークを貼りつけて…。


日本文化に、世界からの直輸入の要素を検証しなければ…。


人類学のスタンスから、要検証。


内膳屏風の唐来屋の女主人が、もし幽霊ならば、

足のない幽霊の表象は、この屏風が起源か…?


内膳屏風の茶老人は、利休か?それとも高山右近か?


アートは、人類学のフィールドワークと言えるかも知れない。


聖遺物の価値観が、信長によって茶器に導入された。

フロイスは、信長の茶器について、それに気付いていない。


茶道が、聖遺物の価値観作りのシステムであるとすれば、

処刑された犯罪者が、「茶聖」として聖人化されるのも道理。


刀身だけが太刀ではない。拵えが揃って、一振りの太刀となる。


独創というものは、まずあり得ない。


ミラーハウス考

無限感と、無限展開とは、必ずしも一致しない。

むしろ、消失点という有限の設定において、無限を感じる。


異空間とは、…。


無限展開と言う壁に閉ざされた空間

ミラーハウスの恐ろしさは、閉塞感

宇宙空間の闇の恐ろしさは、依って立つ所の無い孤立感。または無限感。


胎内くぐりの無限の闇の中 ⇔ ミラーハウスの無限反復の映像の中 ⇔ 影の無い光の中


万華鏡という名のトンネル。


トンネルという異空間への出入り口。


穴をのぞき込むという行為。扉を開けるという行為。箱のフタをを開けるという行為。


庭師鳥は、トンネルを作り、色とりどりの果実や木の実、

美しい貝殻の貢ぎもので、その入口を飾る。


芸術と言うお化け屋敷。

教会や寺院と言うお化け屋敷。ディズニーランドやUSJというお化け屋敷。

お化け屋敷こそ、最高の芸術品。お化け屋敷を作りたい。


見世物小屋としての博物館が、すてきだ。


見世物小屋の、あの薄暗い妖しげで,ゾクゾクわくわくするような空間。


見世物たちの墓場としての博物館は、つまらない。


アート空間と言うのは、お化け屋敷の事だ。


芸術は、お化けだ! お化けは、芸術だ!


東大寺は、なんて素敵なお化け屋敷だろう!


良質な怪談を、語りたい。良質な怪談が、優れた芸術だ。


小さなお化け屋敷としての、聖遺物匣


聖性と忌避性。


金や宝石が無価値なものであることの教義ために、

やはり無数の金や宝石が、集められ、ちりばめられた。


聖性(ウィルトゥス)というのは、放射能によく似ている。


胡散臭くないインチキが好い


「どうすれば美しく見えるのか?」ではなく

「どうして美しく感じているのか?」が問題なのだ。


万華鏡は、様々な誤解と偏見と迷信に、貶められている。


子供たちや教師の手から、万華鏡を取り戻せ!

学校教材という身分から、万華鏡を解放せよ!


罪滅ぼしをしているのか、罪作りをしているのか、分からなくなる。


作品は、性格も大事だが、取りあえず美人でなければ…。


美人であることが、最低条件…。

しかし、中味のない美人は、美人であるだけ、がっかりさせられる。。

美人であることが気の毒な、そんな美人もいる。


教材として扱われる万華鏡の不幸…。


万華鏡は、飽きない? 嘘です。


万華鏡の同じ映像は、二度と見ることが出来ない? 嘘です。


万華鏡は一期一会? 嘘です。


一期一会というのは、これから死地に赴こうとする者たちに、

はじめて許される言葉だ。


自分より劣っているモノは、褒めることができるが、

自分より優っているモノに対しては、あら探しをするか、

でなければ無視するより手がない。


作品も優れ、人格もかなわぬとなったら、それはもう、憎しみの対象でしかない。


骸骨になっても、美人のどくろは美しい。

DNAの塩基配列も、美人のそれは、やはり美しいだろうか。


大工の棟梁の言う事は信用できるが、

お偉方の先生の言う事は、必ず検証が必要だ。


額縁がいかに立派でも、作品がダメなら、お話にならない。


提灯記事や立派な賞は、作品にとっては、余計な装飾だ。

作品が汚れる。


作品にあやかろうとする、提灯記事のマスコミや雑誌や評論家たち。

作品にあやかろうとする、利権団体や個人たち。


エラそうなことを言う前に、君は、どれだけの線をひき、

どれだけのカタチを見いだしたと言うんだ?


もしも人に優れた感覚があるとすれば、

それは、人に優れた努力をした者にしか与えられぬ。


ほめられて育ってきた結果が、これか?


現象やモノに名を付けると、呪力を帯びる。

現象やモノを絵に描くと、呪力を帯びる。

現象やモノを音にすると、呪力を帯びる。

現象やモノをカタチにすると、呪力を帯びる。


美術の術は、欺しの術。


美術は、宗教そのもの。


装飾のチカラ、デザインのチカラ!


神の象徴(シンボル)か? シンボルが神か?


装飾のチカラ、デザインのチカラというのは、呪術力なのだ。


呪術力をうしなったものが、美術アートに堕ちる。


足りないモノが分かった! エロスだ。

勃起させる呪術力。


禁忌と侵犯。血と砂。生と死。アリスと歯車。

エロティシズム。


ヘンタイこそノーマル。聖なるものこそ、異常(狂)である。


「美の呪力」ではなく、呪力が美なのだ。


呪力が、モノを越えさせる。


視覚に呪力を及ぼすモノが美術であり、

聴覚に呪力を及ぼすモノが、音楽であり、

味覚に呪力を及ぼすモノが、料理であり、

嗅覚や触覚や、

身体の動作にさえ、所作という呪力が及ぶ。


アートの本質というのは、呪力なのだ。


博物館に入った神々たちは、その聖性や呪力を失い、

まるで昆虫標本のように採集され、レッテルを貼られ、

虫ピンに刺し貫かれている。


民族学や博物館の傲慢が、我慢ならない。


「モナリザ」の恐るべきところは、その身に一つの護符(アムレット)も帯びていないこと、

そして、象徴としての所作が、一切見当たらぬことだ。


[見るなの禁」というシステム或いは装置…。


「見るなの禁」を見る装置としての匣。宝の匣。玉手箱。聖遺物匣。


「見るなの禁」を犯す罪が、恐ろしければ恐ろしいほど、

システムは緻密に体系化・神学化され、装置は荘厳・華麗・豪奢、その脅迫を窮める。


「美の呪力」の本質は、脅迫か…?


「見るなの禁」に感応したイメージとしてのマンデリオン…とすれば、

写真印画紙のイメージは、マンデリオン足りうるか?

写真は、神のイメージを写す方法足りうるか?


「見るなの禁」を犯す罪に対する罰は…?

幻滅か…

子供の頃、その不思議を知りたくて、万華鏡を壊した事を思い出す。


家庭的で、健全なものに、誰が大枚を払うだろうか?

うまみのある取引が出来るブツというのは、やはり人目をはばかるモノなのだ。


頽廃に向かわないものがあるだろうか?


庭師鳥のオブジェが、アートでああるとすれば、

アートを評価する者は、雌である。


全体を比較しての一寸した違いと言うのは、

ごく隅々の部分における大きな違いの総体なのだ。


「ちょっとした違い」という、ケタ違いの「大きな違い」。

それを知っている人は、少ない。


「ちょいとした努力」という、ケタ違いの艱難辛苦。

それを知っている人は、少ない。


リーチさんの言う「総合性」と「謙虚さ」を、しみじみ思う。


罰当たる…、この感覚を忘れないこと。


総合力を裏付けるものは、教養である。

教養というのは、謙虚さと学養の姿勢のことである。


あらゆる悪感情を晴らす方法や、その思いを遂げる最も優れた方法は、

好い作品を作る事。


最も優れた復讐の方法は、好い作品を作る事。


好い作品を作る事そのものが、目的。

好い作品とは、ただ自分自身の目に適うかどうか…。

そんな作品には、まだお目にかかれないし、作れてもいない。


貧に甘んじ、名誉を求めなければ、好い作品は、自ずと産まれる。


思い通りに作品が出来たら、こんなつまらないことはない。


思いの外(ほか)のものを、作りたい。

思いの外のものが出来たら、そんな幸せなことはない…。僥倖だ!


星の光は、星の死の輝き。香木の香りは、香木の死の芳しさ。


マグレの神さまに、出会いたい。


失敗の神さまに、出会いたい。


成功の神さまは、失敗の仮面を付けている。

成功の仮面をつけた、失敗の神さまもいる。


成功も失敗も、楽しむものであって、幸・不幸とは、なんら関係がない。


着眼大局、着手小局…? 着手一目!


出直し、やり直し…、 望むところだ!


道半ばで、死ぬことは、悪いことではない、

成し遂げられぬ大望にこそ、意味があり価値がある。

人間いつだって、道半ば。


思い通りに出来上がった作品は、それでオシマイ。

失敗した作品は、色々な事を教えてくれる。


ただひとりの人のために、おいしいカクテルのような万華鏡を作りたい。

あなたと同じ夢を見るために…


いばらの道を行くというのは、最高の贅沢。


お見それしました!とひれ伏すような、そんな作品に出会いたい。

お見それ出来たら、happy !


世の中は、なんと、ホンモノに満ちあふれていることか!


火の神さまは、言うことを、ちっとも聞いてくれないけれど、

気がつくと、思いの外のすばらしい贈りものを、残しておいてくれる。


失敗の神さまが呉れたごほうび。それに気付くこと。


鏡の神さまが、わたしたちには、いるような気がする。


鏡の神さま、火の神さま、土の神さま、金属の神さま、色の神さま、光の神さま、

カタチの神さま、道具の神さま、刻の神さま、

いろいろな神さまや妖精たちが、わたしたちのそばにいる。


作品は、すべて神さまや妖精たちとの合作。



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